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2016年4月23日土曜日

鬱ブログと化!!!

鬱な出来事た~くさん!一週間でた~くさん!

まず尿検査に引っかかった。蛋白。鬱。蛋白ってたんぱくと呼ぶんだねと知った高3の春。原因は深夜にしたピーのせいだろう。あとピーのやり方が正直非常にやばいのでピーをピーする時思いっきりピーしてピーなのでこれからは尿検査の前にピーは控えたいと思う。以上。

とある日なんかはクラスメートと二人っきりになった結果会話が全く続かなくなんで俺は生きているんだ?と1日じゅう悩んだ。思春期っぽい。もう卒業しそうだけど。
しっかしまあこの口下手コミュ障吃り、どうにかならないものか。正直このままではこの劣悪で様々な障害がありまくる社会で生きていけないと思う。ヒジョーにまずい。早々とこの世界とお別れしなければいけなくなるのは断固拒否。死にたい死にたい日頃から言っているがそんなのは嘘っぱちで生きたいのだ。そう楽に生きていきたい。

楽に生きていく、よーするに働かずに生きていくとなると将来、ニートかヒモかのどちらかの選択になるわけだ。何だこの悲惨な現実は。
しかしニートはもうダメだ。これだけはノー。ここで決意表明するがニートだけはならない。既にニートへと足を突っ込んでいるがならない。これ以上はダメ。
となるとヒモという選択肢しかなくなるわけだが。いやまあこれもニートといえるんだけど…。
残念なことに自分にはイケメンという要素がナッシング。つまりはワジュツーだとかセイカクーだとかを磨かなければヒモという夢を達成するのには厳しい。つまりは今こそ磨かなければならないのだ。
だがいきなりイケイケのヤリヤリになったとしよう。周りは絶対戸惑う。どうして彼はこの大事な時期にあんなことになったのか?いきなりなんなんだ?だとかそういう感想を持ちまくるだろう。きっちー。考えただけでも動悸がする。この案はボツ。
新しい環境から本気だす。


「~~から本気だす」なんて言ってるとやはり世界とお別れしなくてはならなくなる。どうするんだ…どうすればいいんだ…。やはり夏か?夏でイケイケになってデビューするしかないのか?髪を染めればなんかそんな感じにになって周りも激変したのを違和感なく受け止めて社交的な人間に成れるか?とりあえず容姿から変えていこうと思った。

まずはメガネを卒業しようと思うがまずコンタクトの買い方がわからない。18間近にもなってこれである。もうだめかもわからん。眼科に行ってしょほーせんって言う物を貰えばいいらしいがそこまでの道のりが超絶ハード。ああもう嫌だ…。

そんなら髪を…というが未だに美容院とかは慣れない。千円カットサイコー。というか美容院は会話が必要なのでコミュ障には無理。詰んだ。

ファッションを…無理。店員に話しかけられるのが無理。ユニクロしかも通販サイコー。GUサイコー。Amazonサイコー。

どうしようもない。解決策を持っている方募集中です。もちろんヒモにしてくれる人も募集中です。

2016年4月20日水曜日

色々と辛い

高校生はツイッターをやってる率が高い。かくいう自分もやっているがなんか他の人達と自分の呟く内容がかなり違う。もちろんネット垢の話ではなく俗にいうリア垢での話だ。

とある人物というか自分がフォローしている人らのつぶやきの内容はだいたいこう。

「◯◯と飯~」「◯◯と◯◯で遊んでるなう」「美容院なう」「いま◯◯と△△にいる~」etcetc

一方僕は上記のような呟きをほとんどしていない。つっれー。涙が。一筋の涙が。
このまま僕は3年間の高校生活を終えてしまうのだろう…。もうあと数ヶ月しかないのだ。僕は今嗚咽混じりにキーボードを打っている。どこだよエンジョイハイスクールライフ。俺の人生はこれからどうなるんだ一体。
つーか一人でしまなみ海道とかいっちゃう辺りもうやばいのかもしれない。なんかこうサイクリングとかキャンプとかは一人でやるもんだと思い始めてしまっている。これは非常に危うい傾向ではないだろうか。ソロがいいやん!なんて言っている高校生なんて一人も見たことがない。ソロキャンプの動画を出しているのはだいたい大学生より上。書いててやはり辛い。

しかし仲間がいる。僕と同じような感じだと思える仲間が。それはうちのクラスメート(男子)だ。彼らとはシンパシーを感じる。きっと彼らも僕と同じような苦悩を抱えているのだろう。そうだと思いたい。ヒジョーに失礼ではあるが僕はそうだと思い込むことにした。申し訳ないがこうでもしないと僕の心の安定性が、スタビリティがやばいことになってしまう。

残りあと僅か。まだまだ行事は残っている。それがきっとラストチャンス。修学旅行で僕は生まれ変わってイケイケでヤリヤリの生活をおくるのだ。
と、書いたがどうやってもそんな生活を送っている姿が想像できない。これは一体どうなっているのか。なぜ僕はこうなってしまったのか。責任者はどこか。

2016年4月11日月曜日

新年度を迎えてしまった

新年度4月1日はもう10日前。入社入社~や入学入学~なんて言葉をネット上でたくさん見ながら僕は春休みを満喫していた。食っちゃ寝食っちゃ寝夜更かし昼起き昼寝。神がかっていた。まさに引きこもりの鏡。2週間ほどあった春休みは全て家の中で過ごすという快挙を成し遂げた。
そんな生活がずっと続けばいいなと思っていたが時は残酷、気づけばあっちゅーまに始業式。そして離任式。
離任式ではとある女性の先生(激タイプ)が離任することになっていて枕を濡らした。。僕は彼女の授業を取るためだけにとある授業を週に4時間も入れていたというのに。後任の先生に希望を見出すが出てきたのはお硬い男性教諭であった。何なんだ一体。
入学式も6日か7日かどっちかにあったがどうせ新入生とは会話などするわけもないのでどうでもいいのだ。書いてて辛くなってきた。何なんだ一体。

そういわけで新年度が始まってしまった。高校生で要られるタイムリミットが1年か2年かを切った。まだまだガキンチョでいたい。一応は進学を希望しているが定時制が受かるのかが微妙い。失敗すれば4年次生となりまた失敗すれば5年次生となり失敗すれば6年次生になるだろう。キッツー。
とりあえず会話力と文章力を身に着けていきたい。ご覧のとおりカスゴミみたいな文を書いているしこれまでのテストの文章問題は全て白紙のまま出すという実績を残している。自分は受かる気があるのだろうか。色々と辛い。

2016年3月31日木曜日

リアバッグを落札しました。やったぜ。

挫折したヤフオク。しかしまだリアバッグへの思いは募るばかり。連日監視をしていたら激安ゥなリアバッグが2つ出品されていた。一つはよく分からないブランドだがそれなりに使えそうなバッグ。お値段2000円。もう一つはTIOGAのバッグ。いやいやいやTIOGAってあのTIOGA?とロゴを見るとTIOGAだった。今現在のラインナップを見てもバッグを販売している様子はない。これはかなり前のものではと推察した。これも2000円。

どうせこれらも爆死したあの時のように値段が跳ね上がるのだろうなと思っていたが1時間前にも関わらずTIOGAバッグは2100円ぐらいであった。僕は即座にこれを入札。激闘の末2400円ぐらいでゲットした。送料込みで3150円。少しお得感が減ったがそこらのバッグよりは安く変えたので良し。au walletカードの残高も2000円近く残ってるし万事OK。

初めての落札にウキウキしながら連絡を待った。それはもうサンタが来る日のように。されど1日たっても連絡が来なかったのにはビビ。これがスタンダードだったのかと知ったのはビビりながら色々検索したあとだった。





来たので早速つけた。
取付金具がガバガバだったりキツキツすぎたりでうわやべえかなと思ったが一応体裁は整った。問題は走る時だろうがまあ大丈夫だろう。きっと。
見てくれはなんとも言えない感じだけど荷物とか入れたらきっとよくなるはず。きっと。良くなれ。頼む。


どんぐらい入るんだろうと試しにメスティンだとか似非シェラカップだとかエアーマットを詰めてみた。
めっちゃ余裕があった。なんだこれは。容量はどれくらいなのだろう。


テントとかも入るんじゃねとやってみた。




流石に無理が…と思ったけれども無理をしたら入った。というか閉まった。なんだこれは。
まあ流石に重すぎるからテントを入れようとは思わない。左右のバランス大事。

これに寝袋が入ればいいなあと思ったけど寝袋がでかすぎて無理。コンパクトな寝袋が待たれる。

2016年3月23日水曜日

資金が乏しすぎてヤフオク挫折

なんとか息も絶え絶え月5000円は不労所得をゲットしている。いや月5000いったらいいほうなんだけど…。そんな僕がこのなけなしの5000円を使ってヤフオクにチャレンジした。狙いはパニアバッグだ。(った)
カテゴリーからリアバッグの項目に進んだ僕の前には天国のような光景が広がっていた。なんか定価が1万ぐらいしそうなのが半値以下。やったぜとすぐウォッチリストに入れ監視した。

終了時間まで30分のところで僕は勝負に出た。如何に安く買えるか。僕は狂ったように百円単位で入札。そして行われる自動入札。再入札。自動入札。再入札。自動入札の応酬。気づけば僕の予算限界まで来ていた。送料高すぎるんだよボケナスと僕はそっと入札を諦めた。

次は即決価格が決められているバッグを狙った。なんとなーく即決価格より下の価格で入札したら数分後即決価格で入札されていた。この時から薄々才能というか駆け引きという力が不足してるんだろうなとは思い始めていた。ファッキュー。

しかしまだ諦めていなかった僕は次のに目をつけた。もう言うまでもなく。予算オーバー。

それでも諦めなかった僕は次のに目をつけた。予算オーバー。



結末


これからはオークションなど使わず新品信者、Amazon信者になっていこうと思った瞬間だった。何なんだこのクソゲー。資金力不足で詰むとか現代にあるまじき仕様だなどと妄言をはいた。が、現代にあるまじきなのは今尚働く気がせず働くのが嫌なためだけに進学を考え家計を圧迫させようと考えている自分なのだと気づき(以下略)


というわけなのでもうちょっとお金をためてからやる。

2016年2月29日月曜日

やはり俺の人生は間違っている。

例の発表はちょちょいのちょいであった。余裕をかましすぎ壇上で足を組み横柄な態度で挑んでいたが特に言われることはなかった。やったぜ。
しかし前日に松山まで行っていたことが何故か知れ渡っておりコレのために松山まで行ったのかと言われまくった。つい否定をしてしまったが事実である。なぜ否定してしまったのだろうか。コレがコミュ障の辛いところね。

最近の出来事といえばなぜかツーリング後奥歯が冷たい物でしみるので歯医者に行ったら歯ぎしりが酷いねだとか知覚過敏~だとか虫歯はちょっとだけだとか親知らずが真横に埋まっているね~とレントゲン写真を見せられつつ言われたりと色々と辛かった。特に親知らずが判明したこと。痛みがパないと聞いてるので一生このままでいたい。しかし現実は非情とはもう何回も言ったものでいずれ出てくるから覚悟してねとの仰せ。僕は前世で何をしたのだろうか。現世では色んな罪を犯しまくった気がするがまだその罰が回ってくるワケがない。たぶん。

学校ではいつも通りの友だちが少ない生活を送っている。
しかし今回学校にて聞き捨てならない言葉を拾い聞いてしまった。この記事で出てきた人。なんと女子二人とお泊り会♡をしていたらしいのである。ナンダトー。
一応彼とは親友?いや友達ぐらいのつもりではあるというか自分がそう思っているだけだがやはり僕のジェラシーはバーンヒート。女子二人。何回も言うが女子二人。いやいや、思春期の男女、いや女男女が同じ部屋で夜を過ごすとなると何も起こらないはずがない。クッソー。なんだって彼がこんないい目にあってるのに俺はこんなゴミみたいな生活をしているんだと嘆く。そして理由がクソほど上がり泣く。この流れ、もう何回やっていることだろう…。さらに言えばその女子のうち一人はたしか彼氏がいたはずなのだ。おかしい。別れたのか。確かにそんな様子ではあったが色々と何かが早いのではないか。ダメだぞ周囲の目を気にしてもうちょっと時間がたってからいろいろしないと。いやまあこれは全部自分の想像ならぬ妄想であるのでもしかすると健全なお泊り会だったのかもしれないがまあダメなのである。俺がいい思いをしていないのでダメである。ダメと言ったらダメ。あああああああああああああああああああああああああああああ。


というわけでツーリング以降色々と変わることはなかった。一体何のために行ったのだろうかと今更ながら思う。

2016年2月23日火曜日

広島~松山サイクリングその2

件の発表。発表する場所は自分の身を持って確認したし余裕のよっちゃんだねと思っていたら畳み掛けるような「これも発表してね」。とある授業で作ったとある作品その2までも発表をするはめになった。いやムリ。ファッキュー。こちとら全身が痛いんじゃ。そんな中更に精神的苦痛を受けさせるなど鬼畜の極み。僕はサッと拒否のお言葉を申し上げようとしたがムリであった。僕は諦め苦痛に呻きながらWordで原稿を作ろうとしている。タイムリミットは明々後日。無理だ。
もうインフルエンザだけが頼みの綱。疲れた身体にカモン病原体。バッチコイ。



さて続き。予定を大幅に過ぎた14:30に着くという現実から目を背け今すぐ家に帰りたいと顔をしかめるが仕方がなくフェリーに乗った。いざ向島。心を無にしてしまなみ海道、因島大橋とやらを目指す。


近くにあるように見えて遠くだよとか言うクソみたいなパティーン。





橋のふもとらへんに来たのは良いが入り口を指す標識がめっちゃ違うところを指していたのでビビるが取り敢えず進んだ。そこで待っていたのは地獄のような坂。疲れた身に堪える坂。そりゃそうだよな、だって橋高いところにあるもん。ファック。エレベーターを導入してくれ。こう思ったことしまなみ海道中の橋の数ほど。マジで死ぬかと思った。ぶっちゃけ泣いたもん。


因島大橋を渡る様子は動画に撮った。




因島についたときにはまだ見近島までいけちゃっちゃブー?とか余裕で思ってたけどここでアクシデント。モバイルバッテリーに取り付けていた100均製Lightningケーブルが破損。絶望した。とにかくケーブルを売っているところを探さないとと因島をさまよう。これが一番きつかった。そして時間を一番食った気がする。そして危機がまたもや身体が動かない、腹が鳴った。やばいハンガーノックだ!と思い俺ここで死ぬのかななんて思ってる最中に見つけたなんか製菓屋さんで色々買った。これで1000円はとんだ。きっちい。

一桁数%しかないiPhoneのマップ機能を頼りに百均を目指すも途中でiPhoneの電池が尽きた。因島をさまようこと1時間見つけたのがauショップだった…


結果としては3000円近く払って純正Lightningケーブルを手に入れた。いやあの時はほんと非常事態だったので仕方がない。仕方がないったら無い。


探しまわったせいで日が暮れようとしていた。まずい。当てにしていた大浜崎キャンプ場は全面利用禁止のお達しである。日が暮れる前にテントを建てなければと探しまわること1時間、僕はとある駐車場というかトイレというかパーキングエリアみたいなそんなところの目立たない場所にテントを張った。人目など木にしていられないほど疲れていたのでさっさとテントの中でくつろぎたかった。

真っ暗に近いなかのテント設営は難儀ではあったが何とか初めてのテント設営は完了。すぐさま中にはいって10何時間ぶりに寝っ転がった。

その後買ってきたカップラーメン(尾道ラーメン風)を食べるためにお湯を沸かし食べて寝た。
いや正確に言うと寝れた気がしたのみ。理由はとにかく寒かったこと。
使った寝袋は最低15度対応の無名品。持っていく候補にはdeuterのスターゲイザーなる寝袋もあったが如何せん収納時がクッソでかい。これはさすがにつめないなと思って積みやすいこの寝袋にしたが本当に失敗だった。本当に。
そしてこの時の気温多分10度以下。というか5度以下。マジで寒かった。対策としてはもう全部着込んでカイロを入れまくり一応持ってきていた湯たんぽにメスティンで沸かしたお湯を入れたり。それでもくっそ寒かった。正直よく凍死しなかったなと思う。

更には、くっそ寒い中寝袋に入ってウトウトしていると周りから足音っぽい葉っぱを踏む音が何回も何回も何回も。テントに近づいてきたのかとビビリにビビリ、時には「なんですか?」と声を上げたことも。今思えばこの音は人間ではなく野犬だったのかもしれない。因島あたりにはたくさん犬がいると聞いたことがあったしグーグルマップのストリートビューにも思いっきり首輪なしの犬が写っていた。
目の前が駐車場かつトイレであったので車の音も何回かしたしトイレの電気が点灯したのも何回かあった。ので中々深い眠りにはつけなかった。次はちゃんとしたキャンプ場で寝る。


夜中の2時に起きて撤収作業。19時頃に寝始めたので5時間寝た事になる。たったの5時間で疲労を癒せたかどうかは正直自信がないがこの時は早くとにかく家に帰りたかったので睡眠時間を削るのも致し方なかったよね。
撤収時間には1時間近くかかってしまった。いや寝袋とか畳むのきっつい。そして午前3時に出た。

そっからは真夜中で人気の全くない道のりをペダルを回しまくる…。一体何が楽しいんだこれと何回想ったことやら。もちろん涙があふれんばかりに出てきた。悲しみで。感動なんかじゃなく。

真夜中で絶景なんて何も見えない中渡った生口大橋と多々羅大橋と大三島大橋を僕は忘れない。あと朝4時ぐらいの真っ暗な橋(どこかは忘れた)でおばあさん二人組が僕に対して挨拶してきたことも。おばあさんこんな時間から橋渡ってんだねと思った。

朝7時。本来の目的地であった見近島が見える伯方・大島大橋へ。空が白み始めてまた泣いた。





そして出来ればここで宿泊したかったと泣いた。しまなみ海道渡ってて泣いたの5回ぐらいはあるんじゃないのか。泣いたっていうのは本当に涙を流したっていう意味です。


大島側につく。
この写真は我ながら良いのではと思ったが他人の作を見るとなんとも言えない。


この時間帯あたりになるとトラックがビュンビュン、バスもビュンビュンで車道を走ってると死にそうになった。


その後1時間ほどかけて来島海峡大橋へ。橋までの恒例の坂がラスボス並みに長く、道中もやはりラスボス並みに長かったので僕の精神は死にそうになった。ただ景色だけは神がかっていた。




ようやく今治についたと喜んだのも束の間。松山まであと40キロ以上あると知った僕はリタイアしようかなと泣いた。ガチ泣き。しかし無理だ。輪行袋もなし、お金もフェリー代を残して底をついている。僕はやはり涙を流しながら山を上り交通量がやばい道のりを行きダンプが数センチ横を走るのに怖気づき補導を爆走したりした。この時点でもう学校には遅刻確定。やったね。

更に進んで道の駅で休憩をする。松山観光港まであと18キロほど。



そしてこの時点でもう12:00。なんとか学校遅刻でセーフかなと思ってたがこれはもう休むしか無いと学校に電話をするもプルプルプルと音がなってる最中に充電切れ。もう慌てる必要もないと12時30分までここにいたのが僕の運命を左右した。


道なりに進んで松山観光港を目指すがどうも周りに海が見えないもしかするとこれは迷ったのではという疑念が湧く。進むに連れて湧く。沸きまくる。湧きまくったのでコンビニで道を聞いた。しかしどうも要領を得ることが出来なかった。本当にごめんなさいめっちゃ優しそうだってレジのおば…いやお姉さん。

なぜか県庁っていう看板が出ている方向に進んでいたのは覚えている。

どうにか観光港の文字が乗っている看板を見つけたのが13:40ぐらい。たしかこんぐらい。サイコンに写っていた時刻が目に焼き付いている。
看板に乗っているってことは近くだと思っていたがその矢先に観光港まであと何キロとかいう看板が目に入った。

無理であった。僕は即座に全力でペダルを漕ぐことを決定し実行したが無理であった。港が見えたという時にはすでにフェリーが離岸しているのが見えた。次の便は3時間ほど。僕はこのクソツーリングの中で何度目かわからない涙を流した。

くそさむい中公園で居眠りするなどで時間を潰した僕はついにフェリーに乗ることに成功した。初フェリーである。いや宮島のフェリーは乗ったことはあるんだけど比べ物にならないってやつでして…。

数時間ぶりに暖かい場所で楽になれた。ただ1日シャワーに入ってなかったので臭いがどうのこうのと後ろの席の人に言われたのがまだ申し訳ないと思っている。


そんなこんなで20時に広島に着き生きて再び広島の土を踏めたことに感動した。うれぴー。全身が痛む中寝ることだけを目標に家路を急いだ……………




というのが今回の弾丸突発キャンプツーリング記。経験して思ったことはレーパンを買う、ヘルメットも買う、時間に余裕を持つ、というか原付免許取ろう。以上。