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2018年3月21日水曜日

無料FPS、クロスファイアが終わる。

 その事を知ったのは2月の終わり頃だった。直前にハンゲームでの提供を停止するというリリースがあったがハンゲーム版だけ切り捨てるんやろと楽観的な、無能すぎる事を考えていたが、ただでさえ過疎っているのにハンゲーム版が消えるとなるとどうなるかということには思い至っていなかった。

 数日後に全サービス終了が発表された。中々に辛いものがあった。僕のセイシュンであったから。

 さて、まずクロスファイアとはなにかご存知じゃない人が多いと思う。2008年にサービスを開始したいわゆる無料FPSだ。この頃はサドンアタックやらCSOやら無料FPSの全盛期。そこに殴り込みをかけた恰好なので人数は多いとは言えなかった。どんなに頑張っても同時接続1000。2011年3月11日の大震災のためネクソンがサービス自粛=SAができないという特殊な状況であっても1000であった。

 そんな過疎FPSがよく10年も続いたものである。収益も出なかったろうによくやってくれたと思う。運営には。アラリオやUtoPlanet。やっているときには散々クソリオだとか言ったが。すまんアラリオの偉い人。

 僕がこのFPSをはじめたのは2009年のことだ。当時小5、同級生の兄がこのゲームをやっているということで知った。同級生の家に行き、面白い面白いと一緒になってやったものだ。壊れかけのP90を持ってエスケープに行きまくっていたのを覚えているけどこれ調べたら2010年2月以降だったわこれ。

 そこで初めてFPSというものに触れたわけだ。ネトゲ童貞はメイプルストーリーに注げたが。そこからは結構ハマった。同級生がうちのノートパソコンでクロスファイアをやるのが目当てでよく来てたので否が応でもやる羽目になったが。
 彼はパンデミックにハマってしまいガトリングガンを出すため小6にして課金に手を出していた。僕も傍らでガチャを回すのを見ていた一喜一憂していたのを覚えている。

 中学に上がりクロスファイアから離れていたが、中2なり不登校になってから僕はこのゲームにのめり込んだ。時間だけはたくさんあった。fpsは30も出ない低スペックパソコンで僕は遊びに遊びまくった。野良でチームマッチ、野良でデスマッチ、野良でチームデスマッチ。一番多くやったのはチームデスマッチだろう。アホみたいにやりこんだのを覚えている。
 大会もよく見ていた。Vaultが破れHollowMellowが優勝するのを見たり、splineが王者の風格をまとってHMをぶっ倒したのも見た。Millet:Dというチームがオフラインに行った時は陰ながら応援していた。TENRIさんのファンボであったから。eXective、ばきゅ~ん東、Arufeel。イマでもオフライン大会に出場したクランは大体覚えている。
 当時中2だった僕のヒーローは彼等であった。AyatsujiやKasumi、DAHLIA、Norisenやみっけ、なすじゃすあすたぱにっく。On1yKnifeやRuuk、Ryu。フラグムービーを出し、大会ですごい結果を出す彼等は僕の目にはヒーローに写ったのだ。
 世界大会に出場したHMもみた。現在DeToNatorのしおりんが大量キルしていたのを覚えている。

 中3になってもやり続けた。一人で野良をやり続けた。Twitterも同時期に初めてそれなりに知り合いはいたが1人でやり続けた。一度年上の怖いやつ(Delayとか言う名前だった気がする。今でもご存命の模様。)にVCを誘われたがマイクを抜き差しして途中で抜けた。

 クランにも所属していた。インテルハイッテルっていう名前の人とTwitterで知り合い入れてもらったのだ。クラン戦はなかった。やったことがなかった。

 そして僕はNarikiriさんという人の信者になったのだ。いきなり話が飛んだがそういうことである。なぜそうなったかはなかなかに思い出せない。破壊力というチームをクンでいた彼は僕を誘ってくれたりもした確か。そんな覚えがあるような気がする。しかし低スペであるし自分の部屋がなかったため断ったのだ。そこで断っていなければ…。という感じである。なんともいえない。

 2012~2013が一番やりこんでいたのだと思う。それでもクラン戦、ロカ戦はしなかったが。当時はノーパソがリビングにあったためVCは家族がいる間できなかったから。

 そこからは徐々にフェードアウトしてしまったがそれなりには楽しんだ。WAVEも楽しかったしやはりTDMは楽しかった。



 青春であったと言えるゲームが終わるのは悲しいものがある。これまでやりこんでいたゲームがサービスを終了するという経験をしたことがなかったので更に悲しい。

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