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2015年10月31日土曜日

成し遂げたぞー。

気づけばXデー。それが1日前の出来事。断固として模擬店で働くのを反対してた僕。抵抗むなしく労働をするはめになった。
手始めにまずオツカイである。食券を買いに行ったり食べ物を買ってきたりドリンクを買ってきたりと非常によく働いたと自分でも思う。言葉を強くしていうがパシリではない。僕は頑張る皆に楽になってほしく自主的にやったのだ。きっとそうだ。
お使いが終わり、次に与えられた仕事が呼びこみである。模擬店に客が入るよう看板を持ち声を張り上げるなんてことはせず僕はただ看板をもってひたすら歩いたのみ。階段を登り2階を歩き階段を降りて1階を歩きというコース。かれこれ10周以上はした。色々と辛い。
ちなみにお仕事がない場合も校舎をグルグルグルグル回っていた。決して一緒に周る人がいなかったわけではなく、大変そうな人に気を使った結果である。


そんな辛い一日目が終わるがまだ辛いことが残っていた。2日目にもまだ催し物というアレがあってアレでアレなのだ。
気づけば黒板のステージに上る人リストに名前が載っていた。なんということだ。インキャ筆頭の僕にどうしろと。役職を見ると景品係と書いてあった。なるほど、景品を渡すだけならインキャメガネでも出来るということか。

いざステージへと意気込む。頭のなかではジョニー・ビー・グッドがヘビーローテーション。ゴーゴー。僕はさながらマーティー演じるマイケルJフォックスのようにギターを掻き鳴らしアンプを蹴倒すように景品を渡すのだろうと考えていた。
しかしここでふと上る人リストを思い出した。景品係には僕以外に確か二人いた。多すぎではないか。これでは僕の仕事はなくなりステージ上でただただ突っ立っているモブキャラ1号と化すではないか。今まで流れていたジョニー・ビー・グッドは鳴り止んだ。代わりにバイバイジョニーが鳴り始めていた。バァーイバァーイバァーイ…。

結果、この通りになった。ただ違うのは、モブキャラになりそこねてしまったこと。存在を無くそうと努力をしたが周りは皆仮装。僕だけ普段着。もう少し詳しく言うとパーカーにジーンズ。安牌スタイルだね。ところが周りが仮装。目立っちゃうよね。
本当に突っ立っているだけ。キツ。周りはなんか色々している。同じ穴のムジナだぜと思っていた残りの景品係の2名は仲良しこよし、一緒になっていろいろしていた。クッソー。
そんな僕は拍手を周りがやると遅れて拍手をしたり引きつった笑顔を浮かべたり飾りのぬいぐるみを弄んでいた。視線が辛い。「なんであいついるんだ?」「あんな人数いらないよね?」「あのメガネマジでゴミじゃん。」そんな言葉が聞こえてきそうだった。

終えたあと僕は真っ白になっていた。脳内ではロッキーのテーマが延々と流れ続けていた。

神はどこか。なぜ僕にこのような仕打ちをするのだ。神はどこか。

2015年10月28日水曜日

僕は働きたくない

山田哲人が3打席連続HRを打ったことで狂乱に湧いた神宮球場とは反対に僕の心はホークスに王手をかけられてたヤクルトナインのように落ちて越智て落ちまくっていた。文化祭が目前に迫っているのである。


文化祭。バンドが騒ぎ模擬店をして他校からも人がたくさんやってくるモノ。僕はそういうものだと認識している。
実際うちの学校もほぼ内輪だがほぼ文化祭のようなほぼアレでアレなのでたぶん文化祭であると言えちゃう。つまり模擬店らしきものもあるわけであり必然的にクラスはそれをやるはめになり私は様々なオシゴトに繰り出されるのである。

僕は今のところ労働断固反対主義だ。
みんな働かないでハッピーになろう!という超理想的な世界を目指すべく僕は高校生にもかかわらずバイトをしていない。すなわち働くことは出来ないのだ。
これは例えほぼうちの生徒が客としてやってくる文化祭模擬店としても働くのは反労働主義、AntiLadorPrinciple、頭文字を取ってALP的にダメなのである。ダメと言ったらダメ。簡単に思想を変えるのはロックではない。ロックな生き方を目指す僕としては文化祭をボイコットもといサボタージュするのもありえるのだ。

しかしだ。しかしである。思想を取ると僕はクラスで圧倒的孤立を迎えることになってしまう。ロンリーウルフもロックだねとは言っていられない。
今現在でもちょっとやばい立ち位置かななんて思えてしまうレベルなのだ。これ以上進行してしまったら強固なメンタルを持っていない僕は心を病みアルコールに逃げる日々を送り50歳代まで働くことが出来ずなんで生きているんだろうと日々日々自問自答する日々日々を送るだろう。革新を望むか現状を維持するか…なるほどこれが保守と革新というやつか。こんな時でも社会勉強が出来る余裕を持っているなんてロックだね。なんてことは思えないのである。クソ。ロックとはなんだろうか。ロックが死んだ日である。

社会的地位を得ることは人間としての目的である。僕はこれまでのロックを捨てることにした。僕は今回のイベントで地位を向上させ人望を得ることによってこの世界をロックにする新しいロックを手に入れることにしたのだ。ロックロック言っているが僕はロックンロールはそんなに聞かない。しかしロックは誰にでもロックでありロックなのである。ロックサイコー。そうして僕は矢沢永吉の成り上がりを読みながらロックに思いを馳せる。

2015年10月25日日曜日

スタバスタバスタバスタバ…

周りの高校生はよく「スタバ」だとか「ドトール」だとかによく行っている。Twitterを見れば「スタバなう♡」ばかりだ。おかしい。僕はこんな生活をしていない。おかしい…。僕もコーヒーを片手にいつも変わらないアメリカンな味と言うような生活をしてみたい。
というか君らどこからお金が出てきてるんだと問い詰めたい。すぐバイトしてるからという答えが返ってきているのは目に見えているが問い詰めたいのだ。そもそも高校生は勉学に励むべきであってバイトなどはする必要がないと。
えっ、定時制高校は働きながら通う学校…あっ…そうですね…ええ…。



自分はかれこれ約2年間高校生活を送っている。定時制高校だが高校生活には変わりははないはず。にもかかわらず。にもかかわらずだ。僕はスタバにもドトールにもミスドにも行っていない。グレートスコット。
それどころか僕は他の人と外食ということが一切ない。この2年間でだ。おかしい。このままでは何にも知らぬまま社会に出て恥をかくハメになる。どうにかする方法はないのか。そろそろスタバぐらい行って意識高い大人になる階段を登るべきではなかろうか。コーヒーを片手にMacBookを弄る大人になるべく、いざスタバデビュー。



しかしそこにはとてつもなく高い壁がある。首都圏の二郎と呼ばれる豚のえ…いやラーメンを提供する店があるという。そこではまさに呪文のような注文が繰り広げられ、少しでも間違えるとギルティ(有罪)の烙印が押されネットでさらされることになるらしい。

そう、高い壁とは注文である。

マックに通い続け、服のサイズ表記はS、M、Lの自分にとってはイタリアーノ風を感じるようなサイズ表記は致命的なアレ。アメリカ資本なのにイタリアーノ風とは如何に。ショートトールグランデヴェンティ…。分からん。
これを「サイズはSで」。などと注文したら後ろに並んでいる人が嘲笑するような顔をしながら見るのだと思うと足がすくんで動くことが出来ない。

まだまだ壁は続く。ドリンクの種類であったりカスタマイズである。

まずエスプレッツォは飲めないのでフラッペチーノだとかいう糖質の塊で不健康極まりなさそうなドリンクを頼むことになる。周りの高校生も全てこれを注文しているようだ。女子男子問わず。

ここでまたもや問い詰めたい。「年頃の女性なのに糖質取りまくっていいの?」と。「君~痩せたいのならこういうところからやめるべきだよ~」と。ようするに極普通の高校生活を送っている人間どもが憎いだけである。これ以上の問い詰めは自分のからだに悪いので先に進むことにする。

フラペチーノ。まず種類が多い。キャラメルなんちゃらやらなんちゃらやらなんちゃらやら。あと名前が長いので噛む。噛むのが怖くて足がすくんで(以下略)
そもそもフラペチーノってなんだ。糖質ばかりと言ったが本当なのか。何なんだ一体。カッフェを名乗るならコーヒー一本で行くべきだ。フラペチーノ許すまじ。
あとカスタマイズ。アレはもうよくわからないので触れない。以上。


そんなわけで僕はスタバには行かないことにしている。
更に理由を言うと僕は紅茶党のブリティッシュな紳士だからだ。スタバにもお茶のメニューが有るとかそんなの関係ない。
僕はティーバッグのリプトンティー一筋だ。ブリティッシュスタイルなのだ。
ちなみに一番の理由はマニーが無いから。今の財布に入っている現金は100円である。カスタマイズで吹っ飛ぶレベル。ものすごく辛い。

2015年10月22日木曜日

ドラフト会議

今日はドラフト会議。超熱血球児達が日の目を浴びる日である。
野球を続けていれば来年辺り育成ドラフト2位ぐらいでプロ入りできたかもしれないという可能性があったと思うと腸が煮えくり返りそう。今すぐ過去に戻って中学あたりの僕を野球部に入れさせたい。タイムマッシーンデロリアンはどこか。


ここで僕は提案したい。彼女ドラフト会議というものを。
要するに彼女がほしいのである。かれこれこのブログで何万回と言ってきたが彼女がほしいのである。
良さそうな女性を指名し交渉権を得る。これだけでいい。交渉権さえ手に入ればいい。あとは交渉次第だ。
しかし僕はネゴシエーションなど持っていないネゴシエーターである。交渉人ですらない。すなわち交渉権は得ても入団には至らない。なんということか。クッソー。



どうやら僕は女性に興味が無いどころか女性嫌いだと学校では思われているようだ。最近そう言われた。
更には「オメー二次元大好きっぺよぉ?」と言われた。それなりに嗜んでいるが、リアルの女性のほうが良いに決まっている。女好き好き人間である。だって男子高校生だもん。
だのになぜ女性嫌いだと思われているのか。そう思われる理由がどんどん思いついてしまうのにため息が出る。「ハァー」。

2年。人とかかわらず生きていた期間があるのに高校生活に入り込めたというのが奇跡じみているのに女性と会話などできるわけがないのである。ムリ。
更には1年と半年ほど通っていた中学校でも率先して女子嫌いを装っていた。もうダメである。過去に戻ってコイツの性根を叩きなおしてやりたい。ドクとマーティはどこだ。

しかし僕と同じような生活を送ってきたはずの中学校の同級生はこの学校ですでに10人以上と付き合っているという。おかしい。
僕は彼を中1の頃、からかいまくっていたというのに。僕と彼は同じ穴のムジナのはずだった。なのに彼は驚くほどに高校生活に順応しバイトまでして髪を茶髪に染め上げワックスモリモリ高校デビューを果たしていた。
この劣等感キッツー。
ちなみに1年で10人以上である。超積極的に告白の連鎖。何だこの変わり様は。僕もこれほどまでにトランスフォーメーションをしなければ彼女が出来ないというのか。お断りをしたいが彼女は欲しい。



顔、金、話力。このうちどれか一つでもあれば彼女が出来るという。僕には何一つない。ファック。
どうしようもなくなった僕はオリオン座流星群に願い事を言う。「全人類が滅びますように。」

2015年10月20日火曜日

思春期はこうなる!

何故かは知らないが某社会の授業に某胸当ての話題が出た。
Bから始まるアレであり、先生が女子生徒にいつ頃つけ始めたんだい?とイ・ケ・ナ・イ感じで言っていたがそんなことはどうでも良かった。
そんなことはどうでもよい。何度も言うがどうでも良い。
一生年頃の女性がBを付けているのを拝むことなく死ぬことがわかりきっているからだ。
ファック。シット。死んでしまえ。



そんな授業で思春期の特徴を思春期なんてもう40年以上の前の話だって感じのティーチャーが教えてくれた。今回はそのことをご紹介したい。



1.気分の浮き沈みが激しい。

これは思春期など思ってもなければ春も来ない自分もまあ分かる。自家発電、いや自己発電か、をしている時が最もいい例だと思う。
この例のパターンはこうである。

  1. 急に学校でのやり取りを思い出し死にたくなる
  2. あー死にてーマジやべー…と心のなかで言いつつお気に入りに入れている動画サイトを開く
  3. 元気になる(主に下腹部が)
  4. 超優良動画を見つけ一気にハイテンションに。
  5. 心の中で叫び果てる。
  6. あーしにてー…よくみたらゴミみたいな顔してんな…クソが…チンコ咥えまくりの人生を送って楽しいのか?まあ俺の人生よりは楽しいよな…そうだよな…嗚呼なんで生きてるんだ…嗚呼…
実は思春期であったことを思い知らされた。なるほど。そういうことであるなら早く僕のことを親身になって慰めてくれる女性を用意してくれ。



2.自我の芽生え

自分を客観的に見ることができるようになるらしい。もう一人の自分らしい。
僕は自分を客観的に見ることができていると自負している。

クソブサメガネインキャ頭悪い頭おかしい近づきたくないほんとヤバイ働いていない親のすねをかじって生きていく生活がまるわかり…

以上が客観的に見た自分である。30秒でこの量が出た。まだまだ出てくるのは僕の心身の成長を著しく妨害すると思われるのでやめた。






他にもあった気がするが、忘れたのでこれだけにする。
ちなみにこの文章は全くわからないプログラミングの授業を聞き流しながら考えられた。
そうして考えていた時に急に名前を呼ばれ先生に「これ分かる」と聞かれたので「わかりません」。と答えたら「えっ」という驚愕の返事を頂いた。死にたい。
これが感情の浮き沈みが云々というやつか。

2015年10月16日金曜日

YO Bitich!

YO、ビッチども!元気してたかYO!。そんな僕は非常に元気とはいえずなんとも言えない日々を過ごしている。皆様、寒くなってきたがいかがお過ごしでしょうか。

最近あったことを書かなければいけないのがこの日をおいてからの更新というものの弊害であると思う。そして日があきすぎることによってこれまでのブログの文体がわからなくなりどっかでみたことがあるブログと同じような口調書き方になってしまうのもまた一つの弊害であったりして、とにかく更新間隔を開ける奴はゴミである。




では最近の動向を…。


メスティンとポケットストーブとアルコールストーブが使われることがなくなり早2週間ほど。いい加減これはどうしようもない無駄遣いと認めざるをえないのではと日々思うがここのところ暑かったり寒かったり土日はキャンプ場には幸せそうな家族がいそうだし、道中はノーヘル普段着である僕の姿を冷ややかな目で見てくるような自転車乗り様であったり、車道を走っていると幅寄せをしてくる車、歩道をトボトボ走っているとガンを飛ばしてくる歩行者であったりが怖いので何もしなかった。以上。


評定が出た。最低値が3。しかも3が一つだけ。非常に良いできだった。先生からも「おめー大学行けるッペよお!」。これで僕は進学へ矢印をおもいっきり傾けた。その後「資格をとれば…」。という言葉は聞かなかったことにした。なんてったって情報処理1級(プログラミング)が努力をしない会筆頭の僕にとって高すぎる壁であるから…。最近1級の範囲を授業でやっているのだがわけがわからない。ティーチャーが「とりあえず、練習問題やって。あとで説明するから」。こういったあと問題集をやってたわけだが気づけば先生の説明が始まっていた。つまりどういうことかというと追いつけていない。これは意識を改革しろとマイゴッドからのお告げかもしれない。そう意識改革が必要なのである。朝6時起床に毎日10kmの自転車散歩。そして家に帰ってからの復習。意識改革!意識改革!意識改革!そう叫んでも出来ないのが僕。ここから巻き返しを図ることが出来るのか、乞うご期待。