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2015年10月28日水曜日

僕は働きたくない

山田哲人が3打席連続HRを打ったことで狂乱に湧いた神宮球場とは反対に僕の心はホークスに王手をかけられてたヤクルトナインのように落ちて越智て落ちまくっていた。文化祭が目前に迫っているのである。


文化祭。バンドが騒ぎ模擬店をして他校からも人がたくさんやってくるモノ。僕はそういうものだと認識している。
実際うちの学校もほぼ内輪だがほぼ文化祭のようなほぼアレでアレなのでたぶん文化祭であると言えちゃう。つまり模擬店らしきものもあるわけであり必然的にクラスはそれをやるはめになり私は様々なオシゴトに繰り出されるのである。

僕は今のところ労働断固反対主義だ。
みんな働かないでハッピーになろう!という超理想的な世界を目指すべく僕は高校生にもかかわらずバイトをしていない。すなわち働くことは出来ないのだ。
これは例えほぼうちの生徒が客としてやってくる文化祭模擬店としても働くのは反労働主義、AntiLadorPrinciple、頭文字を取ってALP的にダメなのである。ダメと言ったらダメ。簡単に思想を変えるのはロックではない。ロックな生き方を目指す僕としては文化祭をボイコットもといサボタージュするのもありえるのだ。

しかしだ。しかしである。思想を取ると僕はクラスで圧倒的孤立を迎えることになってしまう。ロンリーウルフもロックだねとは言っていられない。
今現在でもちょっとやばい立ち位置かななんて思えてしまうレベルなのだ。これ以上進行してしまったら強固なメンタルを持っていない僕は心を病みアルコールに逃げる日々を送り50歳代まで働くことが出来ずなんで生きているんだろうと日々日々自問自答する日々日々を送るだろう。革新を望むか現状を維持するか…なるほどこれが保守と革新というやつか。こんな時でも社会勉強が出来る余裕を持っているなんてロックだね。なんてことは思えないのである。クソ。ロックとはなんだろうか。ロックが死んだ日である。

社会的地位を得ることは人間としての目的である。僕はこれまでのロックを捨てることにした。僕は今回のイベントで地位を向上させ人望を得ることによってこの世界をロックにする新しいロックを手に入れることにしたのだ。ロックロック言っているが僕はロックンロールはそんなに聞かない。しかしロックは誰にでもロックでありロックなのである。ロックサイコー。そうして僕は矢沢永吉の成り上がりを読みながらロックに思いを馳せる。

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