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2016年2月23日火曜日

広島~松山サイクリングその2

件の発表。発表する場所は自分の身を持って確認したし余裕のよっちゃんだねと思っていたら畳み掛けるような「これも発表してね」。とある授業で作ったとある作品その2までも発表をするはめになった。いやムリ。ファッキュー。こちとら全身が痛いんじゃ。そんな中更に精神的苦痛を受けさせるなど鬼畜の極み。僕はサッと拒否のお言葉を申し上げようとしたがムリであった。僕は諦め苦痛に呻きながらWordで原稿を作ろうとしている。タイムリミットは明々後日。無理だ。
もうインフルエンザだけが頼みの綱。疲れた身体にカモン病原体。バッチコイ。



さて続き。予定を大幅に過ぎた14:30に着くという現実から目を背け今すぐ家に帰りたいと顔をしかめるが仕方がなくフェリーに乗った。いざ向島。心を無にしてしまなみ海道、因島大橋とやらを目指す。


近くにあるように見えて遠くだよとか言うクソみたいなパティーン。





橋のふもとらへんに来たのは良いが入り口を指す標識がめっちゃ違うところを指していたのでビビるが取り敢えず進んだ。そこで待っていたのは地獄のような坂。疲れた身に堪える坂。そりゃそうだよな、だって橋高いところにあるもん。ファック。エレベーターを導入してくれ。こう思ったことしまなみ海道中の橋の数ほど。マジで死ぬかと思った。ぶっちゃけ泣いたもん。


因島大橋を渡る様子は動画に撮った。




因島についたときにはまだ見近島までいけちゃっちゃブー?とか余裕で思ってたけどここでアクシデント。モバイルバッテリーに取り付けていた100均製Lightningケーブルが破損。絶望した。とにかくケーブルを売っているところを探さないとと因島をさまよう。これが一番きつかった。そして時間を一番食った気がする。そして危機がまたもや身体が動かない、腹が鳴った。やばいハンガーノックだ!と思い俺ここで死ぬのかななんて思ってる最中に見つけたなんか製菓屋さんで色々買った。これで1000円はとんだ。きっちい。

一桁数%しかないiPhoneのマップ機能を頼りに百均を目指すも途中でiPhoneの電池が尽きた。因島をさまようこと1時間見つけたのがauショップだった…


結果としては3000円近く払って純正Lightningケーブルを手に入れた。いやあの時はほんと非常事態だったので仕方がない。仕方がないったら無い。


探しまわったせいで日が暮れようとしていた。まずい。当てにしていた大浜崎キャンプ場は全面利用禁止のお達しである。日が暮れる前にテントを建てなければと探しまわること1時間、僕はとある駐車場というかトイレというかパーキングエリアみたいなそんなところの目立たない場所にテントを張った。人目など木にしていられないほど疲れていたのでさっさとテントの中でくつろぎたかった。

真っ暗に近いなかのテント設営は難儀ではあったが何とか初めてのテント設営は完了。すぐさま中にはいって10何時間ぶりに寝っ転がった。

その後買ってきたカップラーメン(尾道ラーメン風)を食べるためにお湯を沸かし食べて寝た。
いや正確に言うと寝れた気がしたのみ。理由はとにかく寒かったこと。
使った寝袋は最低15度対応の無名品。持っていく候補にはdeuterのスターゲイザーなる寝袋もあったが如何せん収納時がクッソでかい。これはさすがにつめないなと思って積みやすいこの寝袋にしたが本当に失敗だった。本当に。
そしてこの時の気温多分10度以下。というか5度以下。マジで寒かった。対策としてはもう全部着込んでカイロを入れまくり一応持ってきていた湯たんぽにメスティンで沸かしたお湯を入れたり。それでもくっそ寒かった。正直よく凍死しなかったなと思う。

更には、くっそ寒い中寝袋に入ってウトウトしていると周りから足音っぽい葉っぱを踏む音が何回も何回も何回も。テントに近づいてきたのかとビビリにビビリ、時には「なんですか?」と声を上げたことも。今思えばこの音は人間ではなく野犬だったのかもしれない。因島あたりにはたくさん犬がいると聞いたことがあったしグーグルマップのストリートビューにも思いっきり首輪なしの犬が写っていた。
目の前が駐車場かつトイレであったので車の音も何回かしたしトイレの電気が点灯したのも何回かあった。ので中々深い眠りにはつけなかった。次はちゃんとしたキャンプ場で寝る。


夜中の2時に起きて撤収作業。19時頃に寝始めたので5時間寝た事になる。たったの5時間で疲労を癒せたかどうかは正直自信がないがこの時は早くとにかく家に帰りたかったので睡眠時間を削るのも致し方なかったよね。
撤収時間には1時間近くかかってしまった。いや寝袋とか畳むのきっつい。そして午前3時に出た。

そっからは真夜中で人気の全くない道のりをペダルを回しまくる…。一体何が楽しいんだこれと何回想ったことやら。もちろん涙があふれんばかりに出てきた。悲しみで。感動なんかじゃなく。

真夜中で絶景なんて何も見えない中渡った生口大橋と多々羅大橋と大三島大橋を僕は忘れない。あと朝4時ぐらいの真っ暗な橋(どこかは忘れた)でおばあさん二人組が僕に対して挨拶してきたことも。おばあさんこんな時間から橋渡ってんだねと思った。

朝7時。本来の目的地であった見近島が見える伯方・大島大橋へ。空が白み始めてまた泣いた。





そして出来ればここで宿泊したかったと泣いた。しまなみ海道渡ってて泣いたの5回ぐらいはあるんじゃないのか。泣いたっていうのは本当に涙を流したっていう意味です。


大島側につく。
この写真は我ながら良いのではと思ったが他人の作を見るとなんとも言えない。


この時間帯あたりになるとトラックがビュンビュン、バスもビュンビュンで車道を走ってると死にそうになった。


その後1時間ほどかけて来島海峡大橋へ。橋までの恒例の坂がラスボス並みに長く、道中もやはりラスボス並みに長かったので僕の精神は死にそうになった。ただ景色だけは神がかっていた。




ようやく今治についたと喜んだのも束の間。松山まであと40キロ以上あると知った僕はリタイアしようかなと泣いた。ガチ泣き。しかし無理だ。輪行袋もなし、お金もフェリー代を残して底をついている。僕はやはり涙を流しながら山を上り交通量がやばい道のりを行きダンプが数センチ横を走るのに怖気づき補導を爆走したりした。この時点でもう学校には遅刻確定。やったね。

更に進んで道の駅で休憩をする。松山観光港まであと18キロほど。



そしてこの時点でもう12:00。なんとか学校遅刻でセーフかなと思ってたがこれはもう休むしか無いと学校に電話をするもプルプルプルと音がなってる最中に充電切れ。もう慌てる必要もないと12時30分までここにいたのが僕の運命を左右した。


道なりに進んで松山観光港を目指すがどうも周りに海が見えないもしかするとこれは迷ったのではという疑念が湧く。進むに連れて湧く。沸きまくる。湧きまくったのでコンビニで道を聞いた。しかしどうも要領を得ることが出来なかった。本当にごめんなさいめっちゃ優しそうだってレジのおば…いやお姉さん。

なぜか県庁っていう看板が出ている方向に進んでいたのは覚えている。

どうにか観光港の文字が乗っている看板を見つけたのが13:40ぐらい。たしかこんぐらい。サイコンに写っていた時刻が目に焼き付いている。
看板に乗っているってことは近くだと思っていたがその矢先に観光港まであと何キロとかいう看板が目に入った。

無理であった。僕は即座に全力でペダルを漕ぐことを決定し実行したが無理であった。港が見えたという時にはすでにフェリーが離岸しているのが見えた。次の便は3時間ほど。僕はこのクソツーリングの中で何度目かわからない涙を流した。

くそさむい中公園で居眠りするなどで時間を潰した僕はついにフェリーに乗ることに成功した。初フェリーである。いや宮島のフェリーは乗ったことはあるんだけど比べ物にならないってやつでして…。

数時間ぶりに暖かい場所で楽になれた。ただ1日シャワーに入ってなかったので臭いがどうのこうのと後ろの席の人に言われたのがまだ申し訳ないと思っている。


そんなこんなで20時に広島に着き生きて再び広島の土を踏めたことに感動した。うれぴー。全身が痛む中寝ることだけを目標に家路を急いだ……………




というのが今回の弾丸突発キャンプツーリング記。経験して思ったことはレーパンを買う、ヘルメットも買う、時間に余裕を持つ、というか原付免許取ろう。以上。

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